ホラー映画として語られることの多い本作ですが、その本質は単なる超能力による惨劇ではありません。
学校での壮絶ないじめ、家庭での宗教的虐待、思春期の孤独、そして誰にも救われなかった少女の心の崩壊――。
最後に待ち受ける凄惨な結末は恐ろしいだけではなく、深い悲しみとやるせなさを残します。
今なお数多くの作品へ影響を与え続ける、不朽のサイコロジカル・ホラーです。
あらすじ(ネタバレなし)
ベイツ高校に通う16歳の少女キャリー・ホワイトは、内気な性格と冴えない容姿から、学校で毎日のようにいじめを受けていました。
ある日、体育の授業後のシャワー室で初潮を迎えたキャリー。しかし、狂信的なキリスト教信者である母マーガレットから月経について何一つ教えられていなかった彼女は、自分の身に何が起きたのか分からず混乱してしまいます。
その姿を見たクラスメイトたちは彼女を嘲笑し、生理用品を投げつけるという残酷ないじめを行います。
その出来事をきっかけに、いじめに加担してしまった少女スーは罪悪感を抱き、自分の恋人トミーにキャリーをプロムへ誘うよう頼みます。
最初は悪ふざけだと思い拒絶するキャリーでしたが、トミーの誠実な態度に少しずつ心を開き、生まれて初めて"普通の高校生活"を送れるかもしれないという希望を抱き始めます。
しかし、その裏では彼女を憎むクリスが、恋人ビリーとともに恐ろしい復讐計画を進めていました。
少女が人生で最も幸せになれるはずだった一夜は、誰も想像しなかった惨劇へと変わっていきます。
感想
※ここからは作品の核心に触れる内容を含みます。
『キャリー』は超能力ホラーとして非常に有名ですが、私が観るたびに感じるのは、「怪物を生み出したのは超能力ではなく、人間だった」ということです。
冒頭のシャワールームのシーンは、映画史に残るほど衝撃的です。
初潮を迎えた少女が何も知らずに恐怖で助けを求める。その姿をクラスメイトたちは笑い、生理用品を投げつけます。
本来なら誰かが助けるべき瞬間が、集団によるいじめへ変わってしまう。
この場面だけでも十分胸が痛みますが、さらに悲惨なのは、キャリーが月経という女性なら誰もが経験する自然な現象すら教えてもらえない家庭環境で育っていたことです。
母マーガレットは宗教を信仰しているのではなく、狂信しています。
生理は「罪」、女性であることも「罪」、美しさも「罪」。
そんな価値観の中で育ったキャリーは、自分自身を肯定することが一度もできませんでした。
学校ではいじめられ、家では虐待される。
彼女には安心できる居場所がどこにも存在しなかったのです。
だからこそ、トミーが見せてくれた優しさがあまりにも眩しく映ります。
プロムへ誘われ、自分でドレスを作り、母親へ反抗してまで会場へ向かう姿は、本当に普通の女子高生そのものでした。
ダンスを踊り、笑顔を見せ、プロムクイーンに選ばれた瞬間。
「ああ、この子にも幸せが訪れるのかもしれない。」
そう思わせてくれるからこそ、その直後に降り注ぐ豚の血のシーンは映画史に残るほどの絶望を生み出しています。
私自身、この作品で一番印象に残っているのは、やはりプロムでキャリーが屠殺された豚の血を浴びせられるシーンでした。
赤い血に染まったキャリーの表情。
スローモーションで描かれる会場。
観客もキャリーと同じように時間が止まったような感覚になります。
実際には全員が笑っていたわけではありません。
しかし、極限状態に陥ったキャリーには、先生も、生徒も、自分を助けようとしていた人まで全員が笑っているように見えてしまいます。
ここで彼女の心は完全に壊れてしまいました。
超能力は突然悪へ変わったのではありません。
積み重なった絶望が、怒りとなって一気に噴き出した結果だったのです。
もちろん、彼女の行為が許されるものではありません。
多くの人が命を落とし、取り返しのつかない惨劇となります。
しかし同時に、「もし誰か一人でも、もっと早く本気で彼女を救えていたら」という思いも拭えません。
スーは罪悪感からキャリーを救おうとしました。
トミーも最後まで誠実でした。
コリンズ先生も彼女を守ろうとしていました。
それでも、それまで何年も積み重ねられたいじめと虐待の傷は、一晩の優しさだけでは埋められなかったのです。
本作を観ると、暴力とは突然生まれるものではなく、人から人へと連鎖していくものだという現実を突きつけられます。
いじめへの加担や傍観、間違った教育、家庭内での支配。
現在の日本でも学校でのいじめや家庭環境が原因となる事件は後を絶ちません。
『キャリー』は約50年前の映画ですが、そのテーマは今も決して古くありません。
「暴力の連鎖」や「誤った教育が生み出す悲劇」をこれほど痛切に描いた作品は少ないでしょう。
後に2013年版としてリメイクされ、クロエ・グレース・モレッツとジュリアン・ムーアも素晴らしい演技を見せていました。
現代的なアレンジも加えられていますが、ところどころ原作や1976年版が持っていた繊細な空気や心理描写が薄れてしまった印象も受けました。
個人的には、シシー・スペイセクが演じるキャリーの儚さ、壊れそうな危うさ、そして最後の狂気までを見事に表現した1976年版の方が、より強く心に残ります。
ホラー映画としてだけではなく、一人の少女が社会によって追い詰められていく悲劇として、ぜひ多くの人に観てほしい作品です。
演技 ― シシー・スペイセクという"キャリー"そのもの
シシー・スペイセクの演技は、ホラー映画史だけでなく映画史全体で見ても屈指の名演だと思います。
普段は目を合わせることさえできないほど内気な少女。
それでも恋を知り、少しだけ自信を持ち始める姿。
そしてプロムで全てを失った瞬間に見せる、涙も怒りも通り越した虚無の表情。
台詞以上に、その視線や表情だけでキャリーの心情が伝わってきます。
観客は彼女を恐れる一方で、最後まで「かわいそう」という感情を抱かずにはいられません。
この難しい役を成立させたシシー・スペイセクの存在こそ、本作最大の魅力です。
この映画がおすすめなひと
- スティーヴン・キング作品が好きな方
- 心理ホラーやサスペンスが好きな方
- 学校でのいじめをテーマにした作品を観たい方
- 人間ドラマとして深く考えさせられるホラーを求めている方
評価
※評価は執筆時点のものです。
Filmarks:★★★★☆ 3.6/5.0
IMDb:★★★★☆ 7.4/10
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