Cinematelier ─ 映画のアトリエ

名作からコア作品まで、余韻を大切に綴る映画ノート

『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ(Eighth Grade)』―「クールな私」になれなくても、私は私でいい

 

「自分らしくいよう」「自信を持とう」「他人の目を気にしなくていい」。

言葉にすれば簡単なのに、それを実際にできる人はどれくらいいるのでしょうか。

『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』は、中学校卒業を目前に控えた13歳の少女ケイラの、ほんの短い時間を切り取った青春映画です。

ケイラはYouTubeで自信の持ち方や人との接し方について語っています。しかし、カメラの前で話している彼女と、現実の学校生活を送る彼女はまるで別人です。

学校ではうまく会話ができず、友達もほとんどいません。それでも人気者の輪に入りたい。好きな男の子に振り向いてほしい。高校に行ったら今とは違う自分になりたい。

そんなケイラの姿は、ときに見ているこちらが恥ずかしくなってしまうほど不器用です。

しかし、その「痛々しさ」こそが本作の魅力なのだと思います。

13歳の少女を描いた映画でありながら、そこにあるのは子どもだけの悩みではありません。

周囲に合わせようと無理をすること。自分を少しだけ大きく見せること。SNSの中では理想の自分を演じながら、現実では自信を持てないこと。

それは、大人になってからも私たちが経験することではないでしょうか。

だからこそ本作は、青春映画でありながら、かつて13歳だったすべての大人にも届く作品になっています。

 

あらすじ(ネタバレなし)

中学校生活最後の1週間を迎えたケイラ・デイ。

内気で人付き合いが苦手な彼女は、学校ではほとんど友達を作ることができず、クラスメートから「学年で最も無口」な生徒に選ばれてしまいます。

そんなケイラには、学校で見せる姿とはまったく違う一面がありました。

彼女はYouTubeに動画を投稿し、「自信を持つこと」や「自分らしくいること」について語っているのです。しかし、その動画が誰かに見られることはほとんどありません。

シングルファーザーの父マークは、スマートフォンやSNSばかりを見ている娘を心配していますが、思春期のケイラとの距離をどう縮めればいいのか分からずにいました。

ある日、ケイラは人気者の同級生ケネディのプール・パーティーに招待されます。

大勢の同級生を前にして強い不安に襲われながらも、ケイラは勇気を振り絞って輪の中へ入ろうとします。そこでケネディの従兄ゲイブと出会い、さらに密かに思いを寄せるエイデンとも言葉を交わすことになります。

そして高校の体験入学では、年上のオリヴィアと出会います。

自分に優しく接してくれるオリヴィアとの交流を通じて、ケイラはこれまで知らなかった世界へ少しずつ踏み出していきます。

しかし、「大人っぽくなりたい」「周りから遅れたくない」という思いは、ケイラを思いがけない状況へと導いていきます。

中学校生活の終わりを目前にして、ケイラは理想の自分と現実の自分の間で揺れながら、「自分自身」と向き合っていくことになります。

 

感想

※ここからは作品の核心に触れる内容を含みます。

この作品は一見すると、SNS世代のティーンエイジャーを描いた青春映画です。

けれど観終わってみると、描かれているものはもっと普遍的です。

「人からどう見られているかを気にしながら生きる苦しさ」

それは13歳だけの問題ではありません。

友達を作るために、本当の自分より少し明るく振る舞う。知らないことを知らないと言えず、知っているふりをする。周囲に置いていかれたくなくて、本当はしたくないことまで経験しようとする。

大人になっても、似たようなことはあります。

職場でも、友人関係でも、SNSでも、「本当の自分」より「こう見られたい自分」を優先してしまう瞬間があります。

だからケイラの失敗や空回りは、見ていて苦しいのです。

同時に、どこか他人事には思えません。

本作で特に印象的なのが、ケイラがYouTubeで発信している言葉です。

彼女は動画の中では、自信や人間関係についてまるで誰かを励ますように語ります。

けれど、それを一番必要としているのはケイラ自身です。

つまり彼女の動画は、誰かに向けたアドバイスであると同時に、未来の自分へ向けた言葉でもあるように感じました。

現実ではできないからこそ、言葉にする。

自信がないからこそ、「自信を持とう」と語る。

この矛盾がとても人間らしいのです。

私たちは、できていることだけを語るわけではありません。

むしろ自分に欠けているものだからこそ、それを強く言葉にしたくなることがあります。

ケイラの動画がほとんど再生されていないことも重要です。

彼女は世界に向かって一生懸命話しています。しかし、世界から反応は返ってきません。

それでも話し続ける。

その姿には、SNS時代の孤独が凝縮されているように思います。

エイデンとのやり取りや、オリヴィアの友人ライリーとの車内の場面は、ケイラが「自分は子どもではない」と証明しようとする危うさを描いています。

特にライリーとの場面は非常に不快で、見ていて苦しくなります。

ケイラは明らかに嫌がっています。

それでも、その場の空気を壊したくない。幼いと思われたくない。相手に嫌われたくない。

だから強く拒絶することができません。

ここで描かれているのは、単純な「危険な男性に気をつけよう」という話だけではないと思います。

ケイラ自身がまだ、「嫌なことには嫌と言っていい」ことを十分に理解できていないのです。

周囲に受け入れられたいという気持ちが強いほど、自分自身の感情を後回しにしてしまいます。

これは学生生活だけの問題ではありません。

大人になっても、仕事や恋愛、人間関係の中で「嫌われたくない」という理由から、自分の境界線を曖昧にしてしまうことがあります。

だからこの場面には、年齢を超えた怖さがあります。

そして、この映画でもっとも心に残ったのが父マークの存在でした。

ケイラからすれば、父親は鬱陶しい存在です。

スマートフォンについて口を出し、心配して後をついてきてしまう。

思春期の娘からすれば、距離を置きたくなるのも当然でしょう。

しかしマークは、娘を「変えよう」としているように見えながら、本当のところではずっとケイラをそのまま愛しています。

そのことが最もはっきりするのが、タイムカプセルを燃やす場面です。

過去の自分が思い描いていた未来と、現在の自分。

「友達はできましたか」「人生を楽しんでいますか」と尋ねる幼い自分を前にして、ケイラは理想通りになれなかった自分を突きつけられます。

そして彼女は、父に自分の存在について問いかけます。

もし自分のような娘がいたら、悲しくなるのではないか。

それに対するマークの答えは、この映画のすべてを包み込むような言葉でした。

ケイラ自身は、自分を「失敗した人間」のように見ています。

友達も少ない。人気者でもない。自信もない。うまく話すこともできない。

けれど父親の目に映っているケイラは、まったく違います。

彼にとって娘は、何かを達成したから誇らしい存在なのではありません。

ここで初めてケイラは、自分が思っているほど自分は価値のない人間ではないのかもしれない、と気づけたのではないでしょうか。

「本当の自分」は、最初からそこにいた

ケイラは物語の中で劇的に変身するわけではありません。

急に人気者になるわけでも、完璧に自信を持てるようになるわけでもありません。

そこが本作の素晴らしいところです。

彼女は相変わらず不器用です。

けれど、少しだけ自分の気持ちを言えるようになります。

自分を雑に扱うケネディに対して言葉を返し、自分が自然体でいられるゲイブとの時間を楽しみます。

つまりケイラが見つけたのは、「もっとクールな自分」ではありません。

そして、その中でようやく「今の自分でもいい」と思えるようになっていきます。

タイトルの「世界でいちばんクールな私へ」という言葉も、観終わったあとでは少し違って聞こえます。

クールになるとは、人気者になることでも、大人っぽく振る舞うことでもありません。

もしかすると、自分の不器用さや恥ずかしさまで含めて、「これが私だ」と受け止められることなのかもしれません。

もちろん、アメリカと日本では学生生活も学校文化もかなり違います。

パーティーやスクールカースト、SNSとの距離感など、本作にはアメリカならではの要素もあります。

それでも、友達ができない不安や、周囲から浮いているように感じる孤独、好きな人に少しでも良く見られたい気持ちは、国が違ってもそれほど変わらないのではないでしょうか。

そして大人になったからといって、それらの悩みから完全に自由になれるわけでもありません。

だから私は、この作品を単なるティーンエイジャー向け映画だとは感じませんでした。

昔の自分を思い出す人もいるでしょう。

もしかすると、今現在の自分をケイラに重ねる人もいるかもしれません。

少し痛々しくて、目をそらしたくなるほどリアルなのに、最後にはケイラのこれからを見守りたくなる。

そんな優しさを持った一本でした。

 

演技

エルシー・フィッシャー――「演技している」と感じさせないリアルさ

ケイラを演じたエルシー・フィッシャーの演技は、この映画のリアリティを支える最大の要素のひとつです。

特に素晴らしいのは、ケイラを必要以上に「かわいそうな少女」として演じていないことです。

会話が続かない気まずさ。

何を言えばいいのか分からず、とりあえず笑ってしまう表情。

好きな男の子の前で少しだけ声のトーンが変わる瞬間。

スマートフォンを触ることで、その場にいる自分を隠そうとする仕草。

どれも非常に自然です。

ケイラは内気ではありますが、ただ弱い少女ではありません。

少し見栄っ張りで、背伸びもします。父親には反抗しますし、人気者になりたいという欲もあります。

その「きれいすぎない普通さ」が素晴らしいのです。

特にプール・パーティーへ向かう場面では、そこへ行くだけでケイラにとってどれほど大きな勇気が必要なのかが、表情や呼吸から伝わってきます。

派手な演技ではありません。

しかし、だからこそ痛いほどリアルです。

エルシー・フィッシャーの演技によって、ケイラは「映画の中の内気な少女」ではなく、どこかに本当に存在していそうな13歳の少女になっています。

 

この映画がおすすめなひと

  • 青春映画が好きな方
  • 学生時代、人間関係に悩んだ経験がある方
  • SNSと現実の自分とのギャップを感じたことがある方
  • 「周りと同じでいなければ」と無理をした経験がある方
  • 思春期の子どもと親の関係を描いた作品が好きな方
  • 派手ではなく、日常の小さな感情を丁寧に描く映画が好きな方
  • 自分に自信を持てないと感じることがある方
  • かつて不器用だった自分を、少しだけ許してあげたい方

評価

※評価は執筆時点のものです。

Filmarks:★ 3.6 / 5.0
IMDb:★ 7.3 / 10

 

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