Cinematelier ─ 映画のアトリエ

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『J・エドガー(J. Edgar)』―国家を守った男は、何を恐れていたのか

FBIという巨大な組織の礎を築き、半世紀近くにわたってその頂点に君臨した男、ジョン・エドガー・フーヴァー。

犯罪捜査に科学的な手法を取り入れ、指紋や情報を体系的に管理し、FBIをアメリカを代表する捜査機関へと成長させた功績を持つ一方で、盗聴や秘密ファイルによって政治家や著名人の弱みを握り、自らの権力を守り続けた人物としても知られています。

クリント・イーストウッド監督の『J・エドガー』は、そんなフーヴァーを単純な英雄にも悪人にもせず、**「権力を手にしたひとりの人間」**として見つめた伝記ドラマです。

主演はレオナルド・ディカプリオ。

若き日の野心に満ちた姿から、老いてなお権力の座を手放そうとしない晩年までを演じています。

そして映画がもうひとつの軸として描くのが、長年フーヴァーの傍らにいたクライド・トルソンとの関係です。

国家の秘密を集め続けた男自身にもまた、人には決して見せることのできない秘密がありました。

FBIの歴史を描く映画でありながら、その奥に見えてくるのは、自分自身を隠し続けなければならなかった男の孤独なのかもしれません。

 

あらすじ(ネタバレなし)

長年FBI長官を務めてきたジョン・エドガー・フーヴァー(レオナルド・ディカプリオ)は、自らが築き上げてきたFBIの歴史を後世に残すため、捜査官に自身の半生を口述し始めます。

物語はそこから時代を遡り、1919年へ。

アメリカでは共産主義や無政府主義への恐怖が広がり、爆破事件などの過激な活動が社会を揺るがしていました。

若きフーヴァーは司法省で頭角を現し、過激派への対策を担当することになります。

徹底した情報管理を重視する彼は、議会図書館で培った分類の発想を犯罪捜査へと持ち込み、指紋をはじめとする膨大な個人情報を整理・集約する構想を進めていきます。

やがて捜査局のトップとなったフーヴァーは、科学捜査を積極的に導入。

リンドバーグ愛児誘拐事件など、全米を揺るがす重大事件を通して組織の存在感を高め、後のFBIへとつながる強力な捜査機関を作り上げていきます。

その一方で、フーヴァーは権力者たちの秘密を記録した極秘ファイルを蓄積していきます。

大統領でさえ無視できないほどの情報を握ることで、自らの地位とFBIの権力を守ろうとするフーヴァー。

そんな彼の傍らには、長年秘書として仕えるヘレン・ギャンディ(ナオミ・ワッツ)と、フーヴァーにとって特別な存在となっていくクライド・トルソン(アーミー・ハマー)がいました。

国家の安全を守るという使命と、自らの地位を守るという執念。

その境界は、次第に曖昧になっていきます。

 

感想

※ここからは作品の核心に触れる内容を含みます。

『J・エドガー』は、クリント・イーストウッド監督作品の中でも、決して派手な映画ではありません。

そのため、映画としての見どころや完成度という点では、イーストウッドの代表作ほどの強さを感じない部分もありました。

それでも、ジョン・エドガー・フーヴァーという人物の功績と危うさ、そしてこれまで表立って語られることの少なかった私生活まで含め、一人の人間として描こうとした力量はさすがだと感じます。

フーヴァーの功績そのものは無視できません。

指紋の体系的な管理、科学捜査の導入、FBI研究所の設立など、犯罪捜査を近代化した人物としての功績は非常に大きなものでした。

犯罪者を勘や経験だけで追うのではなく、証拠とデータによって特定していく。

現在では当たり前に思える考え方を、組織として確立しようとした先見性が彼にはありました。

ところが映画を見ていると、ある時点から奇妙な逆転が起きていることに気づきます。

最初は犯罪者を見つけるために情報を集めていたはずなのに、いつしかフーヴァーは自分の権力を守るために情報を集める人物になっていくのです。

政治家のスキャンダルを秘密ファイルとして保存し、盗聴によって相手の弱点を握る。

それによって大統領が替わっても、自分だけはFBI長官の座に残り続けます。

彼にとって情報とは、犯罪を解決するための証拠であると同時に、自分自身を守る武器でもありました。

ここにフーヴァーという人物の最も恐ろしい部分があるように思います。

彼は権力そのものを欲しがっていたというより、権力を失うことを異常なほど恐れていたのではないでしょうか。

フーヴァーは、自分がアメリカを守っていると本気で信じていたように描かれます。

だからこそ、この人物は単純な悪役にはなりません。

共産主義者、無政府主義者、ギャング、そして公民権運動。

時代によって「脅威」の対象は変わっていきますが、フーヴァーは常にそこに国家を脅かす敵を見つけます。

問題なのは、誰が敵なのかを決めるのもフーヴァー自身になっていったことです。

とりわけマーティン・ルーサー・キング・ジュニアへの盗聴と圧力は、その危うさを象徴しています。

国家の安全を守るための捜査機関が、やがて国家にとって「好ましくない」と判断した人物を監視する機関へ変わってしまう。

その境界線を映画は静かに見せています。

正義そのものが危険なのではありません。

自分だけが正義を決められると思った瞬間に、正義は権力へ変わってしまう。

この映画を見ていると、そんな怖さを感じます。

そして『J・エドガー』で最も人間的に感じられるのが、クライド・トルソンとの関係です。

映画では二人の関係を歴史的事実として断定するのではなく、非常に親密で特別な関係として描いています。

ここで重要なのは、フーヴァーが同性愛者だったのかどうかを暴くことではないと思います。

むしろ映画が描いているのは、自分の本当の感情を認めることのできない人間の悲しさです。

トルソンから愛情を告げられたとき、フーヴァーは素直に応えることができません。

女性との結婚を口にし、それによってトルソンを傷つけます。

なぜ彼はそこまで自分自身を否定するのでしょうか。

その答えのひとつが、母アンナの存在だったように感じます。

母親はフーヴァーにとって精神的な支柱である一方、非常に強い価値観を押しつける人物として描かれています。

息子が女性との恋愛に居心地の悪さを感じていると知ったとき、彼女が示す反応は残酷です。

その言葉によってフーヴァーは、自分の中にある感情を「決して外に出してはいけないもの」としてさらに深く閉じ込めてしまったのではないでしょうか。

興味深いのは、他人の秘密を暴くことで権力を得たフーヴァーが、自分自身については誰よりも秘密主義だったことです。

彼は人の弱みを記録しました。

しかし、自分の弱さだけは記録させなかった。

国家を管理し、犯罪者を分類し、人々の情報を整理することには長けていた男が、自分自身の感情だけは整理できない。

この矛盾こそが、本作におけるフーヴァーという人物の核心なのだと思います。

もうひとつ面白いのが、映画そのものがフーヴァーの回想によって進んでいくことです。

最初は彼の言葉をそのまま歴史として見てしまいます。

ところが終盤になると、トルソンがフーヴァーの語ってきた「歴史」に疑問を投げかけます。

つまり、私たちが見ていたものの一部は、客観的な歴史ではなく、フーヴァーが後世に残したかった自分自身の姿だった可能性があります。

これは非常に興味深い構造です。

他人について膨大な記録を残した人物が、自分については都合のいい物語を残そうとしている。

フーヴァーはFBIだけではなく、最後には自分自身の歴史まで管理しようとしたのです。

しかし、トルソンはそれを見抜いています。

だからこそ二人の関係には特別な重みがあります。

大統領も政治家も恐れたJ・エドガー・フーヴァーに対して、「あなたの話は全部が真実ではない」と言える人物。

それがトルソンだったのです。

フーヴァーが死んだあと、ニクソン側は彼が持っていた秘密ファイルを手に入れようとします。

しかし、ヘレン・ギャンディはそれを処分します。

フーヴァーが何十年もかけて集めた「秘密」は消えていきます。

あれほど秘密によって自分の権力を守ってきた男なのに、その秘密は本人の死とともに失われてしまう。

とても皮肉な結末です。

権力も、肩書も、機密ファイルも永遠には残りません。

では何が残ったのか。

映画のラストで強く残るのは、FBI長官としてのフーヴァーよりも、トルソンとの間に存在していた言葉にならない感情です。

国家を動かすほどの権力を持ちながら、最も身近な人に自分の気持ちを伝えることには最後まで不器用だった男。

その姿を見ると、『J・エドガー』はFBIについての映画である以上に、恐怖によって自分自身を閉じ込め続けた人間についての映画だったのではないかと思います。

 

演技 ― レオナルド・ディカプリオとアーミー・ハマー
レオナルド・ディカプリオ ― ジョン・エドガー・フーヴァー

本作の大きな見どころは、やはりレオナルド・ディカプリオの体当たりともいえる演技です。

若い頃の神経質で野心的なフーヴァーから、年齢を重ね、身体も動かなくなっていく晩年までを一人で演じています。

特殊メイクの存在感はかなり強いものの、それ以上に印象的なのは声や姿勢、歩き方の変化です。

若いフーヴァーには常に焦りがあります。

自分が正しいことを証明したい。

自分を認めさせたい。

その切迫感が、ディカプリオの演技から伝わってきます。

ところが晩年になると、それが「自分の築いたものを失いたくない」という執着へ変化していきます。

単なる権力者ではなく、巨大な権力の中に閉じ込められてしまった人物として演じているところが印象的でした。

アーミー・ハマー ― クライド・トルソン

アーミー・ハマー演じるトルソンは、フーヴァーとは対照的です。

フーヴァーが常に緊張し、自分を守るために鎧を着ている人物だとすれば、トルソンは比較的自然に感情を表現します。

だからこそ二人が並んだとき、フーヴァーの不器用さがより際立ちます。

特に晩年の二人には、単なる上司と部下では説明できない長い年月の重みがあります。

若い頃の激しい感情よりも、老いた二人が互いを気遣う姿のほうが、むしろ関係の深さを感じさせました。

 

この映画がおすすめなひと

  • 実在人物を描いた伝記映画が好きなひと
  • FBIやアメリカ近現代史に興味があるひと
  • クリント・イーストウッド監督作品が好きなひと
  • レオナルド・ディカプリオの演技をじっくり味わいたいひと
  • 権力と情報、監視社会について考えさせられる作品が好きなひと
  • 英雄の功績だけではなく、その人物の矛盾や弱さまで描く映画が好きなひと
  • 派手な展開よりも人物の内面を描く重厚なドラマが好きなひと

評価

※評価は執筆時点のものです。

Filmarks:★ 3.3 / 5.0
IMDb:★ 6.5 / 10

 

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J.エドガー (字幕版)

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