成功したい。お金が欲しい。子どもにより良い暮らしをさせたい。
そんな願いそのものは、決して特別なものではありません。
Netflix映画『ペイン・ハスラーズ』が恐ろしいのは、ごく普通の人間が抱くそんな切実な願いが、いつの間にか誰かの「痛み」を利用するビジネスへとつながっていく過程を描いていることです。
主人公ライザを演じるのはエミリー・ブラント。彼女を製薬会社へと引き入れるピートにはクリス・エヴァンスと、豪華な俳優陣が揃っています。
題材となっているのは、アメリカ社会を長年苦しめてきたオピオイド危機です。
『ペイン・ハスラーズ』はその巨大な問題を、一人の女性が製薬ビジネスの世界へ入り込み、成功とともに倫理観を失っていく物語として描いています。
最初から悪人だったわけではない。
だからこそ、この物語には他人事では済ませられない怖さがあります。
あらすじ(ネタバレなし)
フロリダで娘フィービーを育てるシングルマザーのライザ・ドレイクは、経済的に苦しい生活を送っていました。
そんなある日、彼女は製薬会社で働くピート・ブレナーと出会います。
ピートから仕事に誘われたライザは、経営難に陥っていた製薬スタートアップ企業「ザンナ」に営業担当として入社することになります。
学歴も製薬業界での経験もありませんでしたが、人の心を読み、相手の懐へ入り込む才能を持っていたライザは、会社が販売する鎮痛薬「ロナフェン」の営業で思いがけない成果を上げていきます。
ライザの活躍によって会社は急成長。
彼女自身の生活も一変し、これまで手にすることのできなかった富と成功を手に入れていきます。
しかし、売上を伸ばすために会社が選んだ方法は、次第に危険な領域へと踏み込んでいきます。
医師への金銭的な働きかけ、薬の処方対象の拡大、そして患者よりも売上を優先する企業の論理。
娘との生活を守るために始めたはずの仕事で、ライザはいつしか人々の健康と命を犠牲にしかねない巨大なシステムの一部となっていきます。
成功のためなら、どこまで許されるのか。
そして、一度その世界の恩恵を知ってしまった人間は、どこで立ち止まることができるのでしょうか。
感想
※ここからは作品の核心に触れる内容を含みます。
『ペイン・ハスラーズ』を観ていて思い出さずにはいられなかったのが、同じくアメリカのオピオイド危機を題材にしたミニシリーズ『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』でした。
個人的には、このテーマを扱った作品の中でも『DOPESICK』は特に傑作だと思っています。
製薬会社、医師、患者、営業担当者、行政機関、捜査する側など複数の視点から問題を描き、「一つの薬」が社会全体をどのように蝕んでいったのかをじっくり見せていく作品です。
ただし全8話のミニシリーズなので、かなり重厚です。
そこまで時間をかけず、映画一本でオピオイド危機の恐ろしさに触れたいという人には、『ペイン・ハスラーズ』は入りやすい作品だと思います。
本作も実際の出来事やジャーナリズムを下敷きにしたフィクションですが、映画の細かなエピソードのどこまでが事実そのものなのかということ以上に重要なのは、オピオイドをめぐって現実に深刻な被害が生まれたという事実です。
そして本作が焦点を当てるのは、その巨大な問題の中にいる「人間」です。
ライザは、最初から人を騙して大金を稼ごうとしていた人物ではありません。
仕事もなく、住む場所にも困り、娘には治療が必要です。
彼女が欲しかったのは、最初はただ「普通に暮らせるだけのお金」だったのではないでしょうか。
そんな彼女が偶然ピートと出会い、製薬会社に入ります。
そして、自分には営業の才能があることを知ります。
薬が売れる。
会社から評価される。
給料が増える。
生活が豊かになる。
周囲から認められる。
ここまでなら、一人の女性が人生を立て直していくサクセスストーリーにも見えます。
しかし、その成功の裏側で薬を処方される患者たちがいます。
彼らは数字ではありません。
痛みを抱え、医師を信じ、処方された薬を信じて飲む人間です。
会社にとって一人の患者は「一件の処方」かもしれません。しかし、その一件の向こう側には一人の人生があります。
本作の怖さは、その境界線が徐々に見えなくなっていくところにあります。
会社の売上が伸びるにつれて、目的も変わっていきます。
本来必要な患者に薬を届けることよりも、「どうすればもっと処方してもらえるか」が重要になっていきます。
医師に金銭的な利益を与え、処方を増やしてもらう。
対象となる患者を広げる。
売上目標を達成する。
さらに市場を拡大する。
会社の中にいると、それらはすべて「営業戦略」という言葉で説明できてしまいます。
しかし一歩外から見れば、そこで扱われているのは人間の身体です。
この映画で最も恐ろしいのは、悪事がいかにも悪事らしい姿をしていないことかもしれません。
会議があり、営業目標があり、報酬があり、昇進があります。
社員たちは働き、成果を出し、会社から評価されます。
普通の企業活動のように見える仕組みの中で、倫理観だけが少しずつ失われていくのです。
ライザという人物が興味深いのは、完全な被害者として描かれていないところです。
彼女は会社に利用されました。
しかし同時に、会社の成功から利益を得た人間でもあります。
危険性に気づきながら、その世界に居続けた時間があります。
だからこそ終盤、彼女が内部告発へ向かう展開にも単純な英雄物語とは違う重さがあります。
最終的にライザ自身も刑罰を受けます。
これは重要だったと思います。
「最後に正しいことをしたから、それまでのことは帳消しになる」という物語ではないからです。
人の命に関わる仕事に携わりながら利益を優先した責任は消えません。
それでも彼女が証言することで、さらに大きな被害を止める可能性が生まれます。
正しいことをするのに遅すぎることはあるかもしれません。
しかし、遅かったからといって何もしなくていいわけでもありません。
ライザという人物には、その矛盾が最後まで残ります。
この作品を観て改めて怖いと感じたのは、人の健康や痛みさえ、お金儲けのために利用できてしまう仕組みです。
しかし同時に、それを動かしているのが怪物のような人間だけではないことも恐ろしいところです。
少し前まで普通の生活をしていた人。
生活に困っていた人。
会社で評価されたかった人。
家族を守りたかった人。
もっとお金が欲しくなった人。
そんな人たちが、それぞれ自分なりの理由を持ちながら組織の中に入り、いつの間にか巨大な問題の一部になっていきます。
おそらく多くの人は、自分のことを「悪人」だとは思っていなかったでしょう。
「会社の方針だから」
「医師が処方しているのだから」
「合法だから」
「みんなやっているから」
そうやって責任を少しずつ別の誰かへ預けていけば、自分自身の倫理観と向き合わずに済みます。
だからこそ『ペイン・ハスラーズ』は、製薬業界だけの物語ではないように思います。
利益と倫理が衝突したとき、自分ならどこで立ち止まれるのか。
そんな問いを観る側にも投げかけてくる作品でした。
エミリー・ブラントとクリス・エヴァンス ― 魅力的だからこそ怖い二人
ライザを演じるエミリー・ブラントは、この人物を単純な善人にも悪人にもしていません。
生活に追い詰められている序盤の必死さから、営業の才能を発揮して自信をつけていく姿、成功の高揚感、そして自分たちがやってきたことの結果に直面したときの罪悪感まで、ライザの変化を自然に見せています。
そしてピートを演じるクリス・エヴァンスも非常に面白いです。
『キャプテン・アメリカ』のような正義感の強い人物とはまったく違い、口がうまく、勢いがあり、成功のためなら危険な橋も渡る営業マンを演じています。
ピートには、人を巻き込む魅力があります。
それがまた怖い。
もし見るからに怪しい人物だったなら、ライザも警戒したでしょう。
しかし彼は「一緒に成功できる」と思わせる人物です。
悪いシステムというものは、恐怖だけで人を支配するとは限りません。
お金、成功、承認、仲間意識。
むしろ魅力的なものを差し出すことで、人を内部へ引き込んでいくことがあります。
エミリー・ブラントとクリス・エヴァンスという華のある俳優二人だからこそ、その危うさがより伝わってくるように感じました。
この映画がおすすめなひと
- 実話や現実の社会問題をベースにした作品が好きな人
- 『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』が印象に残った人
- 製薬業界やオピオイド危機を題材にした作品に興味がある人
- 企業倫理を扱った社会派ドラマが好きな人
- 普通の人間が組織の論理に飲み込まれていく物語が好きな人
- エミリー・ブラント、クリス・エヴァンスの出演作を観たい人
- ミニシリーズではなく映画一本でこの問題に触れてみたい人
評価
※評価は執筆時点のものです。
Filmarks:★ 3.5 / 5.0
IMDb:★ 6.6 / 10
視聴情報(サブスクリプション)
※配信状況は変わる場合があります。
Netflix
あわせてチェックしたい作品
『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』
『ペイン・ハスラーズ』を観てオピオイド危機そのものについてさらに深く知りたくなった人には、特におすすめしたいミニシリーズです。
映画よりも長い時間を使い、患者、医師、製薬会社、営業担当者、捜査側など複数の立場から、なぜこれほど大きな被害が生まれてしまったのかを描いています。
『ペイン・ハスラーズ』とあわせて観ることで、「薬を売る」という行為の裏側で何が起きていたのかを、より立体的に考えることができると思います。