Cinematelier ─ 映画のアトリエ

名作からコア作品まで、余韻を大切に綴る映画ノート

『グッド・ナース(The Good Nurse)』― なぜ彼は止まらなかったのか

 

実話を基に描かれた作品の中には、派手な演出ではなく、むしろ「静けさ」によって恐怖を際立たせるものがあります。

グッド・ナースはまさにその代表的な一本です。

医療現場という、人の命を守るべき場所で起きた連続殺人事件。
そして、その真実に最も近づいたのが、ひとりの看護師だったという事実。

善意と信頼、そして違和感。
それらがゆっくりと崩れていく過程を、極めて抑制されたトーンで描き出しています。

 

あらすじ(ネタバレなし)

心臓病を抱えるシングルマザーの看護師エイミーは、過酷な夜勤をこなしながら限界に近づいていました。

そんな彼女の前に現れたのが、新しく配属された看護師チャーリー。
思いやりがあり、親身に接してくれる彼の存在は、エイミーにとって大きな支えとなっていきます。

しかし、患者の不審死が相次いだことをきっかけに、状況は一変します。

やがて浮かび上がる疑念。
信じていた相手に向けられる疑い。

エイミーは、自らの命と家族の未来を賭けて、真実に向き合う決断を迫られます。

 

感想・考察

※ここからは作品の核心に触れる内容を含みます。

この作品を観終えたあとに残るのは、「恐ろしい事件だった」という感情以上に、どうしても拭いきれない“曖昧さ”でした。

チャールズ・カレンは、なぜ人を殺し続けたのか。

彼自身は、「患者の苦しみを取り除いていた」と語っています。
しかし、その言葉は明らかに現実と矛盾しています。

実際には、回復に向かっていた患者すら標的になっていた。
そして、投与された薬は即死ではなく、むしろ苦しみを長引かせるケースもあった。

つまり彼の行動は、“救い”ではなく、明確な加害でした。

では、その動機はどこにあったのか。

ここで見えてくるのは、「一貫した理由が存在しない」という事実です。

彼は自分が何人殺したのかも正確には覚えておらず、なぜその患者を選んだのかも説明できない。
ある時は否認し、証拠を突きつけられて初めて認める。

この断片的な記憶と認識の歪みは、彼の中で“殺人”という行為が、もはや特別なものではなくなっていたことを示しているように思えます。

さらに興味深いのは、「衝動性」です。

計画的に見える部分もありながら、実際にはかなり衝動的に犯行が行われていたとされています。
そして、その後しばらく患者の苦しみを“観察していた”という証言。

この行動は、単なる慈悲では説明がつきません。

むしろ、
「生と死をコントロールしている感覚」
あるいは
「状況を支配しているという感覚」

そういった歪んだ感覚が、彼の中にあったのではないかと感じさせます。

そして、彼の人生を振り返ると、別の側面も見えてきます。

幼少期からの孤立やいじめ、家族の死、繰り返される自殺未遂。
社会や他者との関係の中で、うまく“自分の居場所”を見つけられなかった人物。

そうした背景を考えると、彼にとって「医療現場」は、
初めて“人の生死に関わることができる場所”だったのかもしれません。

だからこそ、その場所で歪んだ形で力を行使してしまった。

ただし、ここで重要なのは、
それが“理解できる”ことと、“許される”ことは全く別だという点です。

この映画は、その線引きを決して曖昧にしません。

さらに、本作をより深くしているのは、「個人」だけでなく「環境」もまた加害に関わっていたという視点です。

看護師不足。
内部告発の難しさ。
責任を回避する組織体質。

問題があっても、正式な報告が行われない。
あるいは、問題を認識しながらも“穏便に処理”される。

その結果として、彼は次の職場へと移り、また同じことを繰り返す。

つまりこの事件は、
「一人の異常な人物が起こした悲劇」ではなく、
「止められる機会が何度もあったにもかかわらず、止められなかった連鎖」でもあるのです。

そして、その連鎖を断ち切ったのがエイミーでした。

彼女は特別な能力を持った人物ではありません。
むしろ、自分の生活すら守るのが精一杯の状況にいる人間です。

それでも、違和感から目を背けなかった。

この「違和感を信じる力」こそが、この物語の中で最も重要なものだったように感じます。

最後に改めて思うのは、この映画の怖さは“説明できないこと”にあるという点です。

動機がはっきりしない。
理由が定まらない。

だからこそ、これは遠い世界の話ではなくなってしまう。

「どこにでもあり得たかもしれない」
という現実的な恐怖へと変わるのです。

この作品は、犯人を理解させるための映画ではありません。
むしろ、“理解しきれない存在”とどう向き合うかを突きつけてきます。

そして同時に、
「それでも止めることはできたのではないか」

その問いを、静かに、しかし強く観る側に残し続ける作品でした。

演技

本作の価値を決定づけているのは、やはり主演二人の演技です。

ジェシカ・チャステインは、疲労や不安、そして葛藤を“表情の揺らぎ”だけで見事に表現しています。
派手な演技ではなく、内面を丁寧に積み重ねていくタイプの演技が、この作品のトーンと完全に一致しています。

一方のエディ・レッドメイン。
彼の演技は、本当に不気味です。

感情が読み取れない笑顔。
少しの違和感。

その“わずかなズレ”が、観ている側に強烈な不安を与え続けます。

この二人の対比があるからこそ、物語は成立していると言っても過言ではありません。

 

この映画がおすすめなひと

・実話ベースの作品が好きな方
・静かなサスペンスや心理描写を重視する方
・派手さよりもリアリティを求める方
・社会問題や構造的なテーマに興味がある方
・役者の演技をじっくり楽しみたい方

 

評価

※評価は執筆時点のものです。

・Filmarks:★☆ 3.6 / 5.0
・IMDb:★☆ 6.8 / 10

 

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※配信状況は変わる場合があります。

・Netflix