Cinematelier ─ 映画のアトリエ

名作からコア作品まで、余韻を大切に綴る映画ノート

『Tick, tick... BOOM! : チック、チック…ブーン!(Tick, Tick... Boom!)』―夢を追う時間は、いつまで残されているのか

 

夢を追うことは美しい。

けれど、その夢がなかなか叶わなかったとしたら。

周囲の人たちが安定した仕事を手に入れ、恋人が新しい人生を考え始め、自分だけが同じ場所に立ち続けているように感じたとしたら、それでも夢を追い続けることができるでしょうか。

『Tick, tick... BOOM! : チック、チック…ブーン!』は、後に世界的なミュージカル『RENT』を生み出すことになる作曲家ジョナサン・ラーソンの若き日々を描いたミュージカル映画です。

しかし、本作が描いているのは「偉大な作品を生み出した天才の成功物語」だけではありません。

むしろ中心にあるのは、まだ何者にもなれていないひとりの青年の焦りです。

30歳という年齢。

完成しない作品。

将来を考え始める恋人。

別の道を歩き始めた親友。

そして、頭の中で鳴り続ける時計の音。

「チック、チック……」

時間だけが過ぎていく感覚の中で、ジョナサンは自分に問い続けます。

このまま夢を追い続けていいのか。

『RENT』を知らなくても、本作が描く「夢と現実の間で立ち止まる人間」の姿には、十分に心を動かされます。

そして彼のその後を知ったとき、この作品のタイトルに込められた「時間」の意味は、さらに重く響いてきます。

 

あらすじ(ネタバレなし)

1990年、ニューヨーク。

ミュージカル作曲家として成功することを夢見るジョナサン・ラーソンは、レストランでウェイターとして働きながら、長年書き続けてきたミュージカル『Superbia(スーパービア)』を完成させようとしていました。

まもなく30歳。

ジョナサンにとって、その数字は単なる誕生日ではありません。

「30歳までには何者かになっているはずだった」

そんな思いが、彼を焦らせていました。

念願だった業界関係者向けのワークショップが目前に迫りますが、作品には重要な曲がひとつ足りません。しかし、どれだけ考えても、その曲を書くことができません。

一方、ダンサーとして活動する恋人スーザンは、新しい仕事に挑戦することを考えていました。

かつて俳優を目指していた親友マイケルも、すでに舞台の世界を離れ、広告業界で安定した生活を手に入れています。

夢。

恋愛。

友情。

お金。

そして、時間。

人生のあらゆるものが一度に迫ってくる中、それでもジョナサンは「最高の作品を書きたい」という思いを捨てることができません。

頭の中では、まるで時限爆弾のように時計の音が鳴り続けます。

「Tick, tick...」

30歳の誕生日まで、あとわずか。

ジョナサンは、自分が本当に進むべき道を探していきます。

 

感想

※ここからは作品の核心に触れる内容を含みます。

私はミュージカル『RENT』の内容も楽曲もほとんど知らない状態で、この作品を観ました。

そのため、『RENT』を知っている人であれば気づけるオマージュや出演者、楽曲などの楽しみ方については、十分に味わえていない部分もあると思います。

それでも、この映画はとても興味深く観ることができました。

なぜなら本作は、『RENT』という有名な作品がどのように誕生したのかを説明するだけの映画ではないからです。

むしろ描かれているのは、その作品が生まれる以前のジョナサン・ラーソンというひとりの青年の人生でした。

30歳という見えない締め切り

ジョナサンを追い詰めている最大の存在は、誰かではありません。

それは「時間」です。

30歳になる。

ただそれだけのことなのに、彼にとって30歳は大きな意味を持っています。

自分はまだ成功していない。

作品は完成していない。

お金もない。

周囲の人間は、自分より先に「大人の人生」へ進んでいるように見える。

そんな焦燥感が、タイトルにもなっている「Tick, tick...」という時計の音になっています。

これは芸術家だけの感覚ではないでしょう。

「この年齢までには結婚していると思っていた」

「もっと仕事で成功していると思っていた」

「もっと違う自分になっていると思っていた」

人生には、誰かに決められたわけでもないのに、自分自身で設定してしまう「締め切り」があります。

ジョナサンにとって、それが30歳でした。

だからこそ彼は焦ります。

作品を完成させなければならない。

成功しなければならない。

何者かにならなければならない。

しかし皮肉なのは、その焦りによって、彼が人生の中ですでに持っている大切なものを見失い始めることです。

夢を追う主人公を描いた映画では、夢を諦めないことが美しく描かれる場合が多くあります。

しかし本作は、そこを少し違った角度から見ています。

ジョナサンが夢を追い続けることによって、スーザンとの関係は壊れていきます。

マイケルとの友情にも亀裂が入ります。

経済的には苦しく、未来の保証もありません。

つまり映画は、「夢を追えば必ず報われる」と簡単には言ってくれません。

それどころか、夢には代償があることをかなり率直に描いています。

だからこそ、スーザンやマイケルの存在が重要でした。

彼らはジョナサンの夢を邪魔する人たちではありません。

それぞれに自分の人生があり、自分の時間があります。

ジョナサンが作品に人生を捧げている間にも、周囲の人々の人生は進んでいるのです。

ここに本作の苦さがあります。

自分の夢が大切だからといって、他人の時間まで止めておくことはできません。

その意味で、マイケルの存在は本作の中でも特に重要だったと思います。

ジョナサンは「30歳になる」という時間に追われています。

しかしマイケルがHIV陽性であることを告白した瞬間、映画の中に存在していた「時間」の意味が大きく変わります。

当時はエイズ危機のただ中でした。

ジョナサンが恐れているのは、「成功できないかもしれない」という未来です。

一方のマイケルが直面しているのは、もっと切実な「未来そのものがどれほど残されているのかわからない」という現実でした。

それを知ったとき、ジョナサンは初めて、自分が成功ばかりを見つめるあまり、目の前にいる人たちを十分に見ていなかったことに気づきます。

夢を追うことが間違っていたわけではありません。

ただ、夢だけを見ているうちに、今ここにある人生を見失っていたのです。

私は『RENT』を知らない状態で観たため、本作を「名作『RENT』誕生前夜」としてではなく、ひとりの若い芸術家の物語として観ることになりました。

結果として、それがこの映画の普遍的な部分をより強く感じさせてくれたようにも思います。

ジョナサンは最初から「伝説の作曲家」だったわけではありません。

ウェイターとして働き、お金に困り、恋人とすれ違い、友人を傷つけ、作品を書けずに苦しんでいます。

私たちが後から歴史を見ると、「成功した人」の人生には最初から一本の道が敷かれていたように感じることがあります。

けれど、本人がその時間を生きているときには、その先に成功があることなどわかりません。

ジョナサン自身も、『Superbia』が日の目を見ないことも、その後『RENT』が世界的な成功を収めることも知りません。

彼にできることは、その瞬間に書くことだけでした。

その意味で本作は、「成功した人の物語」というより、

成功するかどうかわからないまま、それでも創り続けた人の物語

なのだと思います。

ジョナサン・ラーソンのその後を知ると、本作の「Tick, tick...」という音はまったく違った意味を持ち始めます。

彼は『Tick, Tick... Boom!』を経て、やがて『RENT』を書き上げます。

そして『RENT』は大きな成功を収めることになります。

しかしジョナサン本人は、その成功を見ることができませんでした。

彼は『RENT』のオフ・ブロードウェイでのプレビュー公演が始まる前夜、35歳で突然亡くなります。

ジョナサンは30歳になることを恐れていました。

時間がなくなっていくことを恐れていました。

しかし彼自身は、そのとき自分に残されている本当の時間を知りませんでした。

それでも本作は、悲劇だけで終わりません。

ジョナサンが残した作品は、彼がいなくなった後も生き続けました。

彼自身は成功を見ることができなかった。

それでも彼が費やした時間は消えなかったのです。

時間には限りがある。だからこそ、その時間で何をするのか。

『Tick, tick... BOOM!』は、夢を叶える映画というよりも、限られた時間の中で自分が信じるものを選び続けることについての映画なのだと思います。

 

演技

本作の中心にいるのは、やはりジョナサン・ラーソンを演じたアンドリュー・ガーフィールドです。

彼の持つ柔和な雰囲気は、この役にとてもよく合っていました。

ジョナサンはかなり自己中心的なところがあります。

作品に夢中になるあまり、スーザンの気持ちを十分に考えられず、マイケルに対しても感情をぶつけてしまいます。

演じ方によっては、観客から距離を置かれてしまう人物だったかもしれません。

しかしガーフィールドには、どこか憎めない人間味があります。

夢を語っているときの少年のような表情。

曲が書けないときの苛立ち。

自信満々に見えた直後に、不安に押しつぶされそうになる脆さ。

そして、ときには思っていた以上の強さを見せる瞬間。

それらが同居していることで、「天才ジョナサン・ラーソン」ではなく、必死に何者かになろうとしている若者として感じられました。

また、本作では歌唱も大きな魅力です。

単にミュージカル映画として歌うのではなく、ジョナサンの思考そのものが音楽になっているように感じられます。

焦りも、喜びも、嫉妬も、不安も、すべてが歌になってあふれ出す。

アンドリュー・ガーフィールドのエネルギーが、そのまま作品全体を前へ押し進めているような演技でした。

 

この映画がおすすめなひと

  • ミュージカル映画が好きな方
  • 『RENT』やジョナサン・ラーソンに興味がある方
  • アンドリュー・ガーフィールドが好きな方
  • 実話をもとにした作品が好きな方
  • 夢を追うことと現実との間で揺れる物語が好きな方
  • 仕事や創作活動で「このままでいいのか」と感じたことがある方
  • 成功そのものより、成功に至るまでの葛藤を描いた作品が好きな方

評価

※評価は執筆時点のものです。

  • Filmarks:★ 3.9 / 5.0
  • IMDb:★ 7.5 / 10

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